【反対語は本当に反対か】恋する乙女と子どもが教える、反対語に隠された真理
<ある日の反対語ーその1>
子ども達と英語で反対語をやっていると、思いもよらぬ答えが返ってくることがある。
tall ↔️ Mika (トオルの妹の名前)
short ↔️ catcher (野球?)
copy ↔️ paste (もはや条件反射)
high ↔️ goodbye (シャレてる!)
彼らの発想の自由さに脱帽する。
<ある日の反対語ーその2>
この前、車で Ava Max を聞いていたら “Torn” の歌詞が反対語の連続なのに気づいた。揺れ動く乙女心は好きと嫌いを行ったり来たり。恋愛とは反対語そのもの。歌詞の中の、辞書には載っていない詩的な反対語がまた切ない。いきなりですが、ではその “Torn” より問題です。次の太字に対する反対語は、歌詞の中では何と表現しているでしょう。
I take all the light away. ↔️You give me ( 1 ).
I wish the lows were higher.
I wanna stay. ↔️ I wanna ( 2 ) out the door.
I can get enough. ↔️ I can’t ( 3 ) anymore.
You dry my tears ↔️ and make it ( 4 ).
You show me love ↔️ and give me ( 5 ).
正解はこちらのMVで。
(2)は go, run, step などいろんな可能性が考えられる。(1)と(5)は試験でこの解答をしてきたらこっそり加点する。
答え:(1)fireworks (2)walk (3)take (4)pour (5)war
反対語といえば、子どもは大人のいうことに対してよく反対の行動をしてくる。「静かに」と言っても喋り、「片付けて」と言ってもほったらかし、「帰ろう」と言っても「もっと遊ぶ」と泣く。まるで反対するのが使命のようだ。
あるとき生徒達に「あなた達、ダメという意味を分かっているの?」と聞いたら「せんせー、ダメって聞くとね、 ”やれ” って聞こえるんだよ」という。何だ、その自動変換!
< 心理的リアクタンス >
人はある行動を強要されていると感じるとその強要に反発し、多くの場合、抑制されている行動への固執を強め、求められる行動とは反対の行動をとることがある。[ 1966年にジャック・W・ブレムによって提唱 ] 出典:アメリカ心理学会ウェブサイトより
ブレム氏によると、私達大人が言う「○○しちゃダメ」あるいは「○○しなさい」はむしろ子ども達に反対の行動を促していることになる。
私の尊敬する元大空小学校校長の木村泰子先生は「 廊下を走るな、というから子どもは走るんです。走らない目的は何かといえば、ぶつかって怪我をしないこと。だから怪我しないように移動しよう、と言えば子どもは自分で考えて人を避けたりスピードを落としたりして調節するようになります」という。考えてみれば社会にはこのように、目的と手段が入れ替わってしまっていることが結構ある。
宿題は ” 本人が自分のために” 学習を振り返ったり、定着させるためにあるものなのに、忘れると何故か先生に怒られる。
英語の実力を確認するための英検やTOEICなのに、そのスコアをUPさせるための技巧的な勉強に走る。
日本を良くするために政治家になったのに、当選するための選挙活動に汲々とする。
大人はこの本末転倒に気付いていないことが多いが、忖度しない子ども達はストレートに心理的リアクタンスを示してくる。反対の行動をとることによって、私たち大人が指示しているその本来の目的は何なのかと問いかけていることに、私達は気づくべきだ。
私達は、子どもを自分の都合のいいように動かそうとしていないか。
それは本当に子どものためなのか。
反対している子どもの方にむしろ道理があるのではないか。
光の反対は闇なのか。喧騒の反対は静寂なのか。その反対語は正しいのか。
反対してくる子どもは考えている子。
自立しようとしている子。
それを大人は邪魔していないか。
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